日本の良さを見つめて、これからを考える。

先日の神野さんの話の続きです。

日本という国はどういう国だったのかという話が一つ目です。

他者の視点から日本人を見ると、明治に来たヨーロッパ人のどの印象記にも記されている日本人の特色は、3つあり、それは、「やさしさ」と「献上(自己主張がない)」「心のゆとり」だと言います。
また、「日本はどうして子どもの笑顔が溢れているんだろう」という印象もあったと言います。
この日本の「良さ」は、現在では、むしろそれをなくそうという方向に向かっているようにも思います。
当時の日本は、希望と楽観視に溢れていました。
2千を超える(全体の40%)自治体が、財政再建団体になっていましたが、悲観的ではなかったといいます。
当時、地方財政も中央財政も破綻状態だったが、楽観的にいようとしていたそうです。
生産人口である15~65歳の人口が、扶養しなければならない人口を下回る人口構造になることを、危惧する人がいますが、50年前も同じ状態であり、むしろ、この間の50年間だけが、生産人口が、扶養人口より多かったそうです。
当時との違いは、扶養しなければならない人口が、15歳未満だったのに対し、これからは、65歳以上となるということです。
このことを前向きに考えれば、高齢者には、教育投資もいらない、消費もそれほど大きくない世代ということを考えれば、当時よりも大変ではないのではないかという話でした。

そこで、前向きに次の時代のあるべき姿を考えます。

まず、「公」とは何かです。
「公」とは、誰もが排除されない領域のことを言うそうで、日本では、公を「官」として私物化する場合があるこれは誤解だと指摘していました。
「公園」という概念は、貴族等の所有だった土地を解放しようとゲーテが作ったのがはじめだそうです。
道路・道についても、ヨーロッパでは、人が交流する「公の場所」という概念があるそうです。
だから、フランスでもカフェは道路に出てくるといいます。
道は、人間が交流する権利があるので、人間の交流を侵さない範囲で、車が通っても良いという概念であり、だから人の交流する中心地には、車は入れないということからパークアンドアライドという発想になるそうです。
ストラースブールでは、「LRT」という次世代の路面電車が、芝生の上を走っています。
まちは、車で通過するより、歩いたり、自転車で移動した方が、物が売れ、繁栄する
からです。
こうした流れは、重化学工業の時代の終わりを告げようとしているといいます。
19世紀末から20世紀。
私たちの戦略は、自動車と家庭電化製品であり、重化学工業が鉄鋼業とかみ合いながら回っていきました。
こうした人間からまさに手足が自動で動くようななった時代に対し、今後は、人間の神経や、脳が、情報や知識として動いていく時代になるといいます。
これまでの鉄鋼業に変わる基礎産業は、金融業となることは、明らかだが、これまでの自動車や家庭電化製品に変わる知識社会の戦略産業がまだないといいます。
政府財政がやらなければいけないことは2つあり、1つは、セーフティネットであり、もう1つは、次の時代の産業構造をつくることだといいます。
これが、インフラストレッチャーというもので、当時で言えば、鉄道などのインフラがこれに当たるといいます。
こうした次の社会への準備が日本はまだできていないことを指摘していました。
このヒントが、先にあげたスウェーデンの事例の中にある気がします。
地方分権に出遅れた日本は、家族やコミュニティが弱っている中で、ジニ係数は、OECD諸国の半分以下。
子どものいる世代では、世界で一番貧しい国になってしまったと言います。
一人親はさらに悲惨な状況であり、労働市場は二極化していると言います。
両立支援サービスや、家族で女性が担っていたサービスが出来ていない上、今後、重化学工業は、発展途上国が行うようになると、途上国との価格競争は実質無理であり、転換が必要になります。
そういう意味でも、産業構造と政治構造のシフトの必要性を強く感じます。