スウェーデンに学ぶ。

昨日は、千葉県市議会議長会第4ブロック議員研修会で、神野直彦東京大学教授の「地方分権の改革と議員の役割」という研修を受けました。
話が長くなってしまいますので、面白かった話を、私なりにいくつかの切り口に分けて、載せておこうと思います。

その一つは、スウェーデンの紹介でした。
冒頭で、スウェーデンの歌が紹介されました。
「第二次大戦後、スウェーデンは、豊かな国となり、人々が『繁栄』と呼ぶ状況を生み出した。
私たちは、あまりに簡単に幸福になりすぎた。
人々は、それは公正であるか否かを議論した。
農業社会は解体され、私たちの国は新しい国になったが、人々が本当にわが家にいるといった感覚をもてたかどうかは確かではない。
1950年から60年に至る10年間に、毎日300戸の小農家が閉業するというスピードで、農業国スウェーデンが終焉した。
人々は大きな単位、大きなコミューン(市町村)を信じ、都市には遠い将来にわたって労働が存在すると信じた。
私たちは当然のことながら物質的には豊かになったが、簡単な言葉でいえば、平安というべきものを使い果たした。
私たちは新しい国で、お互いに他人同士となった。
小農民が消滅するとともに、小職人や小商店が、そして、病気のおばあさんが横になっていたあの小さな部屋、あの小さな学校、あの子豚たち、あの小さなダンスホールなども姿を消した。
そういう小さな世界はもう残ってない。
小さいものは何であれ、儲けが少ないというのが理由だった。
なぜなら、幸福への呪文は<儲かる社会>だったからだ。
スティーグ・クレッソン(Sting Claesson)」
というものです。
スウェーデンは、この時に気づき、改革を行いました。
それが、地方分権改革だったといいます。
日本はいつ気づくのでしょうか。
ソーシャルキャピタル(=社会資本)の充実と経済には相関関係があるそうで、その例えとして、イタリア例を挙げ、北イタリアには、人間の絆=コミュニティがあるので、経済が発展をしている一方で、南イタリアにはこうしたコミュニティがないので、経済が発展をしないそうです。
こうした考え方は、現実になってきており、ダボス会議でも、フィンランドがトップなのに対し、日本はベスト10から落ち始めてきました。
社会には、人間の絆が作り上げている木陰が必要だといいます。
日本におけるコミュニティの再構築の必要性を強く感じます。

スウェーデンの教育についても紹介しておきます。
1つ目は、スウェーデンの虐待防止ポスターにも使われている詩です。
「子ども ドロシー・ロー・ホルト
批判ばかりされた 子どもは 非難することを おぼえる
殴られて大きくなった 子どもは 力にたよることを おぼえる
笑いものにされた 子どもは ものを言わずにいることを おぼえる
皮肉にさらされた 子どもは 鈍い良心の もちむしとなる
しかし、激励をうけた 子どもは 自身を おぼえる
寛容にであった 子どもは 忍耐を おぼえる
賞賛をうけた 子どもは 評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した 子どもは 公正を おぼえる
友情を知る 子どもは 親切を おぼえる
安心を経験した 子どもは 信頼を おぼえる
可愛がられ 抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる」
とあるそうです。
子育てをしていると分かっていてもできないことを、あらためて見せつけられた気がします。

もう1つ、教科書の紹介です。
「公共部門か民間部門か」についての項目に、
「なぜ、映画館の方が水泳プールよりも料金が高いのでしょう。それは、映画館の料金は『市場原理』によって決まるからです。すなわち映画館は、観衆が払ってもよいと思う金額を料金としているのです。プールの料金は『補助料金』です。すなわち、実際の料金の大半をコミューンが支払っているのです。どうしてでしょう。それは多くのコミューンが、映画ではなくプールを住民サービスとして提供したいと考えるからです。
一部の人々はこう言います。
『補助料金など全部やめてしまえ、みんな民間に任せればいい。もしそうなれば、コミューンにとっては安上がりとなり、プールの管理もよくなるはずだ。そしてわれわれの頭越しにものを決める政治家の権力も小さくなるだろう』
他の人々はこう言います。
『それは間違いだ。もし、何もかもが民間で運営されるようになれば、不公平が拡大し、住民の影響力は減少する』」
と載っています。
スウェーデンでは、正しい答えを教えることはなく、常に答えを考えさせるといいます。
また別の教科書では、予算について、
「コミューン税の約3分の2はコミューンが受け取ります。ランスティング・コミューンは3分の1、協会は1~2%です。
各政党がどういう考えを持っているかは、予算編成作業を通じて明らかにされます。
すでに、専門委員会や理事会で、多数派と反対派の間で対立がはっきりと見られます。コミューン理事会が提案した予算案を議会が審議するとき、この対立は白日の下にさらされます。
▲意見1 われわれは、コミューン税を1クローナ引き下げたい。これは10万クローノルの所有のある者の財布に、1,000クローノル多く入っていることを意味する。税金の軽減は、人々の選択の自由を拡大する。
▲意見2 それだけは絶対にだめだ。それはサービスの低下をもたらすだけだ。私たちが減税に反対するのは、より多くの保育園、よりよい学校給食、障害者にも利用しやすい中央地区を意味している。
▲意見3 私たちは、税金を引き下げる代わりに料金の引き上げをします。
そのほうが公正だからです。そうすれば、電気や水を浪費している者よりも節約している者の方が、少なく支払うことになるからです。バス料金、保育園料金、その他いろいろな料金も同じです。
▲意見4 われわれは、いたずらな料金値上げはしない。それは、高額所得者を利するだけだ。料金を10%引き上げる代わりに、税金を75ウーレ上げる。それが大多数の者、子どものいる家族、年金者にとってベストだ。」
とあります。
このブログでも、ポリティカル(政治)リテラシー教育の必要性は、何度か話をしましたが、こうした教育を日本でも行っていくことの必要性を強く感じます。