少子化問題を考える!!

友人からの年始の挨拶メールの中に、少子化問題に対する意見がありました。

少子化の問題が、年金制度はじめ、その他多くのものを揺るがしているみたいだとしながら、少子化それ自体が直接、地域や国の活力の低下に繋がるかというと、果たしてそうだろうか首をもたげるとのことでした。
『少子化=悪』と考えると、出生率を向上させること以外にはないわけが、それが困難な場合や、当事者である世代が望まない場合は、そうもいかない。少子化を前提にした上で、年金制度など、少子化が影響する問題を考えていかないという指摘でした。
いじめの問題も同様で、いじめが起きないように考えることは重要ですが、一方で、いじめが起きることを前提に現実的に起こっているいじめにどう対応するかを「同時に」考えるべきだと言っていました。
この指摘は、その通りだと思います。
とくに、少子化の問題は、誰しもが平等に問題解決を図れるわけではなく、むしろ多くの人たちは、この状況を変える動きを当事者として行うことはできません。
そうしたことを考えれば、むしろ国全体としては、少子化を現実として受け止めた上で、成り立つ仕組みを考えていくべきかもしれません。
しかし、逆に見れば、私たち子どもを産むことができる限られた世代は、少子高齢社会と言われるこの人口構造に対して、どういう認識を持ち、自分たちはどう考えているのかを明確に伝える責任があります。
この世代が、少子化を改善するため、それぞれが家庭を持ち、何人の子どもを産むイメージを持っているのか、それともそうでないのかを他世代は注目しているように思います。
私たち世代に、その気がないのであれば、そこで選択肢はなくなります。
ただ、現状の社会状況の中では、無理だが、状況が変われば、少子化を改善していくべきだと言うことであれば、当然、現状の問題認識を共有し、その改善を図るという選択肢が生まれます。
どちらにせよ私たち世代の答えに多くの方々は注目しており、答えを出すだけの時間と、世代の声を聞き入れる仕組みを創るサポートをして頂ければと思うのです。

友人からのメールには、少子化を是正するということで言えば、今は子どもに関する報道は「悪いニュース」が多いとし、「子育ては楽しいよ!」というメッセージが、今より多く飛び交う時代になって欲しいとのことでした。
経済支援、優遇という話はあるが、子育てそれ自体が(マイナスではなく)プラス面を沢山もっている行為なんだというメッセージがあればいいなという意見にも共感しました。
私には、中学生、小学生、幼稚園児、乳児と4人の子どもがいます。
4人の子育てというのは、決して楽しいことばかりではありません。
受験一つとっても、一人っ子なら受験生に付きっ切りでライフサイクルも合わせられますが、下の子がいれば、当然下の子に合わせなければならない場面も多く、弟妹が騒げば、そもそも勉強どころではありません。
子育て中の妻においても、ママ友たちからランチのお誘いを受けても、4人もの学齢の違う子どもがいると、それぞれの行事などが重なり、簡単に出て行くわけにも行きません。
子どもを預けるにも、移動するにも4人もいると、常に簡単なことではありません。
年齢に幅があれば、起きる時間や寝る時間も、食事の時間もバラバラです。
学校行事やお弁当など、それぞれに対応しなければなりません。
洗濯や家事も子どもがいればいる分だけ増え、夫の仕事も手伝っていれば、家事をシェアしようと多少私が手伝ったところで、夫婦の自由な時間はほとんどありません。
しかし、それならば子どもがいない方が良いかと言うと、そんなことを思ったことは一度もありません。
日々、人間対人間のガチンコで子ども達と接しながら、娘の幼稚園の発表会を見に行けば、娘の成長に感激し、息子のマラソン大会や卒業式、ピアノの発表会や部活の大会などを見て、息子の成長や頑張りに涙します。
私自身、人生において、感動したり、涙する機会というのは、あまりなく、子どもたちの成長は、選挙の当選以上に感激したりします。
子どもが産まれ、歩いたら喜び、話をしたら喜ぶといった、子どもの成長や一挙手一投足がもたらす喜びは、他には変えがたい感動があります。
私達夫婦は、4人の子どもを幸せにすることはもちろん、この充実を一人でも多くの方々に伝えて行くことが大切だと思っています。
子育ての実態の中で、どこに子育ての意義と充実があるのかを同世代に伝えるとともに、どこに障害や苦労があるのか、当事者からの訴えが必要だと感じています。
現状の子育て支援と言うと、経済支援ばかりが目立ちます。
実態に対する対応という意味でも、当事者の声を捉える場と、当事者の代表を送り込む必要を強く感じます。
現実的な暮らしの中から生じる少子化問題や子育て論を、これからも示して行きたいと思っています。