こどものまち“ミニいちかわ”の魅力と可能性♪

昨日は、子どもたちを連れて大洲防災公園で行われた“ミニいちかわ”に行ってきました。
NPO法人市川子ども文化ステーショ主催で行われたミニいちかわ。
2003年から毎年開催され今年で4回目となるこのイベントは、私の第2の母国でもあるドイツで2年に1度行われる、「こどものまち」の「ミニミュンヘン」が元にされたものです。
こどものまちは、子どもたち自らがまちをつくり、お店をやるのも子ども、そこで買い物するのも子どもと、それぞれの立場で、働いたり、買い物をしたり、遊んだりする中で、社会やまちの仕組みを知ったり、体験から色んなものを感じ、学ぶことのできるイベントで、ミニいちかわには、これまで6,700人の子どもたちと、スタッフを合わせると9,000人が参加しています。
会場に入るために、受付で1人200円を支払ってSTART。
会場に入った子どもたちは、まず、市民になるために市役所に行って手続きを行います。
当然市役所の職員も子どもたち。
次に、お金を持っていない子どもたちは、まちのお金「メティ」を稼がなければなりません。
職業に就くために、職安に行きます。
職安は、公共系、サービス系、食べ物系、工房系の4つのジャンルに分かれているのですが、すでにどの職業にも行列が・・・
不況下の現状を示すかのこの状況に、付いてきたお母さん方は、「こんなに並んでるから違うことしたら」と誘導しようとします。
いつもならこれに引っ張られていくのでしょうが、ここは、こどものまち。
自分たちの主張をしながら、文句を言わずに並んでいる子どもたちに、このイベントの主役は子どもだという象徴を見た気がしました。
職安で自分のやりたい仕事を選ぶと、実際に働くことになります。
サンドウィッチを作って売ったり、工作をして売ったり、銀行、税務署、病院、警察、新聞社、ネイルアートやMiniプロダクションなんていうのもありました。
仕事を終えると、子どもたちは、銀行でこのまちのお金「メティ」で給料をもらい、このお金で、実際に食べ物を買ったり、遊んだりしながら、お金がなくなったらまた働いたり、高いものを買うために銀行に預けてお金を貯めたり、子どもたちは思い思いにこのまちを楽しみながら、遊びの中で、まちの仕組みを体感していました。
これまでも、この「こどものまち」の勉強会などには顔を出していましたが、実際に子どもたちの楽しそうな顔を見て、このイベントの良さをあらためて感じました。
今月、同じような仕組みのテーマパーク、キッザニアがオープンしました。
キッザニアは、1999年にメキシコで誕生したエデュテイメントタウン(エデュケーション(学び)とエンターテーメント(楽しさ)を組み合わせた造語)です。
航空会社はANA、ジュース屋さんはコカコーラ、配達はヤマト運輸、新聞社は朝日新聞、カード会社はJCBと実際の企業がパビリオンを出しているのが特徴です。
これまでのアミューズメントパークと言えば、大人が作り上げたものを、子どもはお客さんとして接するものが多かったのではないでしょうか。
この部分においては、キッザニアはミニいちかわに比べると作られた感はありますが、それでも、楽しいだけでなく、同時に体験から学べるというところ、とくに仕事をするということを学べることには大きな魅力があるのではないでしょうか。
好奇心から「なぜだろう、なぜかしら」と物事を学んできた子どもたちが、ある時期から勉強を義務のように思ってしまっているように思います。
私が小学1年で日本を離れる前には、楽しく学校に行っていたはずだったのに、帰国すると、個性なく「○○さんと同じです」とみんな同じ意見だったことに、ショックを受けたのを覚えています。
コンピューターやテレビゲームの普及や、学力尊重の中で、子どもたちは、色んなことを体感する機会が減ってきているように思います。
家庭、学校、地域でもこうした部分はさらに考えていかなければならないことだと思いますが、今回紹介したような、「遊びながら体感して学ぶ」という部分に、好奇心であったり、学ぶ楽しさであったりという失われつつあるキーワードがあるのではないかと思います。
また、キッザニアでは、今後、こども議会ができるそうです。
こどものまちという社会構造の中では、ステレオタイプではなく、様々な職業があり、それぞれがどういう役割を果たしているのかを知る必要もあります。
ある友人が、自身のブログの中で、「連合もキッザニアに出店すべき」と言っていました。
経済活動以外にも、社会の縮図として伝えなければいけないことがあるはずです。
そういう意味では、組合が「働くことの意味」「働き方」を伝えるパビリオンを出すのは確かに面白いかもしれません。
NPOなどもあるべきだし、最も市民生活に関わる政治についてもこういう場面で触れる機会ができればと思います。
そんなことを考えながら、非常に清々しい時間をもらいました。