大都市と基礎自治体論、共同意思

昨日は、午後から市川市政令指定都市検討議員懇話会に出席しました。
(写真を撮ったのも昨日です・・・)
(財)地方自治総合研究所の辻山幸宣さんを講師に、大都市制度と自治についての勉強会でした。
辻山先生には、大学時代にNPO法人Rightsを立ち上げた際に、一緒に会を立ち上げた友人が中大だったこともありお世話になったりしました。
そんな辻山先生が、13年前まで20年間ぐらい市川市民で宮久保郵便局を入ったあたりに住んでいたという話は初耳でしたが、こういう人が市川に長く住んでいたということを嬉しく思いました。
これまで、合併政令指定都市化の流れの中では、とくに財政問題について、触れてきましたが、今日は、こうした財政的な話ではなく、むしろ適正行政規模やコミュニティや地域と行政のあるべき形、規模などについての話でした。
大都市制度の歴史を振り返ると、明治21年に市制特例つくっていたそうで、当時は東京、京都、大阪を特別に重要な土地としたそうです。ただ、市長は置かず、知事が直接行っていくもので、国の直轄という意識が高かったようです。
その後、横浜など大きな都市が含まれてきて、人口、会社の本社が集まってくるなど都市という形のものになきたそうです。
特別市制運動で大都市6大都市となり、東京市と東京都が合併で5大都市となります。
地方自治法の改正で、特別市と位置づけられ、戦後、それまでの府県が自治体になると、大都市が同じ自治体として競い合うこととなりました。
当時の自治法では特別市の区域は県とは分かれることとなっており、例えば、横浜市は、神奈川県ではない独立した自治体でした。
しかし、別の自治体になったことで、横浜市から神奈川県民税が取れなくなったことなどから、特別市と県の間でトラブルが多く、昭和31年に条文削除となり、かわりに政令指定都市ができました。
このことで皆さまもご存知のように政令市は、県の中にあるとされ、現状があります。
いわゆる平成の大合併の中で政令市も増え、政令市は現在15市あります。
最近は、この都市の捉え方も変わってきており、面積用件や昼夜間人口比などについては、規制が緩和されました。
ただ、市町村という区別とは異なる大都市や都市の定義がないことを問題だと言っていました。
これまでの都市というと、都市開発の予算をつけて、補助金を持ってきて使う。
政令市になったところが大きくなってきたところがありました。
商業売上額、工業出荷額などが視点だったと言えます。
しかし、自治体は、そこに住む市民が大事ということをもう一度考えなければなりません。
都市を支えてきた構造も変わりつつあります。
都市開発や公共事業は抑制され始めてきました。
これは単に財政難というわけではなく、昨年度より国税収入が増になっても増えなくなっている現状があります。
こうした背景には、企業がもはやこれ以上耐えられないということもあり、国も無駄な配分やめて、技術開発の負担を国家ぐるみでやるという方向にシフトしつつあるとのことでした。
こうした中で、新たに出てきたのが、共同方の自治と言われるコミュニティやグループで手を携えて行っていこうというもので、新しい公共権と捉えられています。
一方で、小さな自治である市町村に対しては、役割をしっかり果たしてもらわなければならないという声が大きくなってきました。
方向性としては、府県がなくなる方向であり、府県に変わりうる行政主体を地域で創り上げることが大切だということでした。
今回の話で、最も重要なことは、自分たちの今後の自治体を考える中で、基本的スタンスとしてどこにウェートをおくかと言うことがもっとも大事だということでした。
辻山さんとしては、2通りの軸足どちらかを決めてからでなければ危ないと言われていました。
1つは、基礎自治体論という考え方です。
家族や集落の共同体の維持してきた仕事を、近代になって維持できなくなりました。
近代社会では、労働が基本であり、地域への労働、相互扶助というやり方は、労働、資本によるとできなくなってきます。
そこで、みんなで共同作業としてやることになります。
そこに自治体政府をつくり、共同で処理してきたことを任せるとなります。
河川や、峠道切り開く、相互扶助、生活扶助といったものを担い、自治体政府という権力で、地域にルールをつくり税金で希望ある地域社会をつくることになりました。
ただ、こうした自治体を維持していくためには、どこかでくしゃみをしている人を誰かが聞いていなければならないと言われています。
もちろん、近隣力や近隣で関わりあう力が必要なので、小さければいいというものでもありませんが、職員、議員といった人の耳や目に情報が届いていなければならない状況を考えると、40万人都市はその限界と言われてます。
もう1つの考え方は、大都市にして、区役所制度にするというものです。
ただ、この場合、区役所の職員は、基礎自治体の職員ではなく基礎自治体からの出先機関の職員となるので、そのあたりが異なります。
もちろん市が豊かになれば、市民にメリットが返る前提ですが、都市を管理し、都市を発展させていくという考え方です。。
日本という国は、高度成長の中で、その向上した分を分配して成長してきました。
均等ある国土の発展、地域格差の是正はこうした中で可能だったとも言えます。
ただ、自分たちのまちの人を一人も不幸にさせないといったことが見過ごされてきたような気がすると言います。
辻山さんは、こうした軸足さえしっかりすれば、大きさはどうでもいいと言います。
一方で、横浜市、川崎市などが区の特殊性を出そうとしている例を挙げました。
横浜市で国予算をつけたことや、川崎市では区選出議員と選挙による区の市民で区民会議として区の議会のような意思決定の役割を果たしていると言います。
大都市も区の自治をどうするかという部分で悩んでおり、この辺りが可能性なのではないでしょうか。
自治体には、それぞれの共同意思と言うものがあります。
スイスなどは公園に集まって直接民主制で共同意思を形成していると言いますが、ほとんどの国では、議会による代理によって、共同意思を決定しています。
例えば、市川、船橋、松戸にも、それぞれに共同意思があります。
そうした個々の共同意思の上に連携、連合といった形の方が良いのか。
それとも全体で1つの共同意思を持った自治体が必要なのかを考えなければなりません。
戦前の県議会は、都市部の市部会と農村部の郡部会に分かれて意思決定した上で共同意思形成を作っていたそうで、こうしたスタイルも一つの参考になります。
最近の政治は、人々にとってありがたみのない地方政治となっており、政府効用が低下してるとも言います。
一括方の中で自治法が改正された中で、地域の事務と書いてあるそうで、自治体の事務という表現ではなく、こうした背景には、周辺との連携を意図しているのかとも言っていました。
自治体間の境界線上の調整も今後はさらに重要になってきます。
例えば、ダイオキシンの出る廃棄物処分場の建設などは、これまでは、一部事務組合で決められました。
しかし最近だとどこも引き受けず、なかなか決められない。
合併した場合、共同意思が一個になるため、合意要らずにここにしようと決められるというように共同意思をどこに持っていくかによってそれぞれのメリットがあったりします。
昨日の話の中では、「基礎自治体論」をとるか「大都市制による区役所制度にするか」という選択でした。
個人的には、基礎自治体論だと思いますが、現行法制下では、政令市になることで権限と財源の委譲を受けるべきだと考えており、政令市化しても区政の中で基礎自治体論は取れると考えています。
横浜や川崎が行おうとしていることがまさにそこであり、こうした新たな第3の道の可能性について質問、意見交換しました。
その中で、上越市の地域自治区の例がありました。
町村議会と同じ定数で選挙を行い、無報酬で活動しているといいます。
合併前の地域予算とほぼ同額ついていると言います。
背景には国の予算がついていることなどがあるようですが、こうしたことは一つのモデルになるのではないかと思います。
政令市の区につけている予算は、区長につけている予算であることが一つのネックです。
区議会を置くべきではないかという議論もありますが、違法に当たる可能性あると積極的ではありません。
市川市が政令指定都市をめざすからには、こうしたことができる日本の地方自治の本当の意味でのモデルとなる自治体にまでなるべきではないかと思っています。